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■『戦旗』1618号(7月20日)4-5面 被爆77年 8・6広島青空式典に集まれ 侵略反革命と闘う被爆二世の会 被爆七七年の八月六日広島、八月九日長崎を、私たちはコロナ禍とウクライナ侵略戦争が続く中で迎えようとしている。 私たちはロシア軍のウクライナからの即時撤退と停戦を強く求める。核兵器による恫喝もその使用も絶対に許さない。その上で、米、英、EU諸国及び日本がウクライナに武器支援などを行うことに断固反対する。そのことが、ウクライナとロシアの対立を煽り、多くの民衆を虐殺する戦争行為を継続させることになるからだ。 一方日帝―岸田政権は、ウクライナ戦争に乗じて「改憲」策動や反撃(敵基地攻撃)能力の確保、そして軍事費の対GDP比2%への大幅な拡大強化を行おうとしている。また与党内外からは「核共有」発言があった。これらを絶対に許してはならない。 平和と逆行する戦争できる国づくりを断固阻止しよう。再び日帝がアジア太平洋地域で、侵略戦争を行うことを絶対に許してはならない。「ウクライナ戦争反対! 核兵器を使うな! 武器支援ではなく、即時停戦の実現を!」の声を世界中の民衆と共にあげ続けよう。 二三年G7サミットの広島開催に反対する 来年五月一九日から二一日、G7サミットを広島で開催することを、日帝―岸田が発表した。何よりもG7サミットは、帝国主義者たちによる世界市場再分割のための強盗会談だ。これを絶対に許してはならない。 二〇二三年G7サミット広島誘致推進協議会(顧問:広島県知事、会長:広島市長、副会長:広島商工会議所会頭)は、本年一月二六日に会議を開催した。同協議会は「二〇二三年主要国首脳会議(G7サミット)の広島誘致に関する要望」の中で、(広島開催の意義、世界への発信力)と題して次のように述べている。 「広島は、人類史上初めて原子爆弾による被害を受けた、唯一無二の存在です。被爆者の苦しみや悲しみは筆舌に尽くしがたく、消えるものではありませんが、広島の地は過去を乗り越え未来を志向するという考え方の下、『こんな思いは他の誰にもさせたくない』という被爆者の心からの願いを、世界に発信し続けている都市です。(中略)そのため、国内外から多くの人々、特に各国の為政者に広島を訪れていただけるよう、『迎える平和』を提唱し、国と連携して多くの為政者をお迎えしてきました。また、広島は原子爆弾による破壊から不死鳥のごとく蘇った都市です。(中略)広島の足跡は、今まさに、紛争により破壊され、復興に向け前進しようとする世界の各地域の『希望の象徴』でもあります。(中略)この広島を舞台に、日本国政府のリーダーシップの下、世界の政治指導者が、広島で育まれた寛容の精神を直接感じ、広島という『場』の持つメッセージ力を活かしながら、国際的な課題の解決に向けて対話を重ねることで、国際社会の連帯を一層強固にし、人類の存在と繁栄に向けた新たな道筋を全世界に強く示すことができると考えます」と。 つまり、「こんな思いは他の誰にもさせたくない」という核兵器の非人道性を告発し帝国主義戦争を二度と許してはならないという被爆者の思いを利用し、被爆後七七年続いたかりそめの「平和」の中で復興した広島を「希望の象徴」として祭り上げることで、帝国主義者たちが核抑止力をはじめとする軍事支配を背景にして世界市場をどう分割していくかを話し合う「場」にしようとしているのだ。これを私たちは断じて許さない。とりわけ、広島・長崎に原爆を落とした米帝が被爆者に謝罪もせず、原爆使用を戦争犯罪だと認めずに広島に侵入することなど言語道断だ。 実際に、二〇一六年五月に米帝オバマが広島に来た時も、外務省は平和公園周辺と米軍岩国基地周辺を「静音保持指定地域」に指定し、多くの警察や機動隊を平和公園周辺に配備して、被爆者(二世・三世)や市民の抗議行動を封殺しようとした。私たちは、アジア共同行動日本連の仲間とともに、「米政府は被爆者(二世・三世)に謝罪と補償を行え! 日帝の核武装反対」の横断幕を掲げて断固抗議行動を行った。 この時、米帝オバマはたった一〇分間の原爆資料館の見学の後に謝罪もせず、所感で「七一年前、晴天の朝、空から死が降ってきて世界が変わりました」と他人事のように述べた。戦争で核兵器を使用したのは、米帝だけだ。米帝が原爆使用という戦争犯罪の責任を取らずに、未だに核兵器を持ち続けているから、核兵器を持つ国が増えているのだ。こうした米帝の居直りを私たちは断じて許さない。 被爆者の核兵器廃絶の思いに応える道はただ一つ、国境を越えた労働者民衆の団結の力で帝国主義者が推進する軍事同盟と核抑止力をはじめとする軍備増強に断固反対し、帝国主義を打倒することだ。 戦争が無ければ、核兵器も使用されない。広島で原爆被害に遭ったのは、日本人だけではない。日帝の朝鮮植民地支配によって、多くの朝鮮人が被爆した。『白いチョゴリの被爆者』(広島県朝鮮人被爆者協議会編)では、「当時広島市に在住していたとみられる朝鮮人数五万三〇〇〇(推定)」とある。広島の平和公園の慰霊碑に刻まれている「安らかに眠って下さい。過ちは繰返しませぬから」という言葉を胸に刻み、私たちは、先のアジア・太平洋戦争が日帝の侵略戦争であったことを痛苦にとらえ返し、二度と日帝の侵略反革命戦争を許さない。 日米両帝国主義による 原爆被害の隠蔽と過小評価 米軍が投下した二発の原子爆弾によって一九四五年一二月末までに、広島では約一四万人が、長崎では約七万人が殺されたと推計されるが、正確な人数は今もわかっていない。 また、一九七六年に広島市・長崎市が国連事務総長に提出した報告では、広島・長崎に落とされた原爆によって、日本人だけではなく、数万人の朝鮮人、数百人の中国人さらに数百人の連合軍捕虜、数十人の外国人市民が被害に遭っていることが記されている。 一九四五年九月七日、原爆調査の為に来日したファーレル陸軍准将(マンハッタン計画の副責任者)は、東京の帝国ホテルで連合国特派員向けの記者会見を開き「広島、長崎では死ぬべきものは死んでしまい、九月上旬現在、原爆放射能のために苦しんでいるものは皆無だ」、そして「残留放射能の危険を防ぐために十分な高度で爆発させたため、原爆放射能の問題はあり得ない」と言い放った。広島・長崎では、原爆投下後に肉親を捜して入市した人や救護に当たった多くの人が突然具合が悪くなったり、食欲が無くなったり、髪が抜け、紫斑が体中に現れて、耳や鼻や口から出血して亡くなっていく事例が相次いだ。そうした放射能障害の事実を覆い隠すために、米帝はGHQの占領下でプレスコードを敷いて原爆被害の事実を報道することを一切許さなかった。そのため被爆者は長い間「援護無き差別」の状態におかれた。 一九五〇年朝鮮戦争下で、開かれた8・6広島行動では峠三吉などが福屋デパートの屋上から原爆被害を告発するビラを戒厳令の中で撒いた。こうして、「原爆詩集」の刊行や子どもたちの手記・長田新編「原爆の子 広島の少年少女のうったえ」などの出版を通じて、徐々にその後も続く原爆被害の状態が伝えらえるようになる。 一九五四年、ビキニ環礁での米国による水爆実験で日本の漁船が被曝したことをきっかけに、原水爆禁止運動が燎原の火の如く広がり、広島・長崎の原爆被爆者の苦しみも全国に知られるようになった。 一九五七年、被爆後一二年を経て、原爆医療法が制定され、被爆者健康手帳の交付(約二〇万人)、認定疾病に対する医療の給付、全被爆者に対する無料の健康診断(年二回・定期)を開始した。一九六八年、特別措置法が施行されて、特別手当を始め、健康管理手当や介護手当の支給が開始された。 在外被爆者は、自主入国した孫振斗さんが獄中から被爆者手帳裁判を起こし、一九七八年に勝訴した。最高裁は「『原爆医療法』は、被爆による健康上の障害の特異性と重大性のゆえに、その救済について内外人を区別すべきではないとしたものにほかならず、同法が国家補償の趣旨をあわせもつもの」と解し、「被爆者の置かれている特別な健康状態に着目して、これを救済するという人道的目的の立法である」と位置づけ、孫さん全面勝利の判決を下した(韓国の原爆被害者を救援する市民の会のホームページより)。以後、在外被爆者は、被爆者援護法の一つ一つの権利を裁判闘争で勝ち取った。その結果、日本人被爆者が海外に出ても、被爆者援護法が適用されるようになった。 昨年「黒い雨」訴訟控訴審が広島高裁で勝訴したが、これは大きな前進である。一九八〇年に出された国の原爆被爆者対策基本問題懇談会の答申が、恣意的に原爆被害を認めず、被爆者援護法の精神に反すると断罪した。この精神に基づけば、長崎の被爆体験者も被爆者援護法の被爆者として認めなければならない。国が「黒い雨」被爆者の要件に医療要件を付け加えていることを弾劾する。高裁判決の精神に反しており、絶対に許してはならない。 被爆者運動の歴史は、原爆被害の全体像を一つ一つ明らかにしてきた歴史でもある。私たち被爆二世・三世は、この闘いの歴史に学び、親の放射線の遺伝的影響を否定できない核被害者として、被爆者援護法の適用を勝ち取っていく。 被爆二世集団訴訟に勝利し 法的援護の実現を 二〇一七年に全国被爆二世団体連絡協議会(以下、全国被爆二世協)が開始した被爆二世の援護を求める集団訴訟は、広島地裁、長崎地裁共に最終弁論を迎え、一審判決が年内にも下されようとしている。広島原告二八名、長崎原告二六名の原告団・訴訟団・弁護団は、国に被爆者援護法に基づく被爆二世の法的援護を求めて、全力で闘っている。 この間、一番の争点である放射線の遺伝的影響をめぐる論戦が繰り広げられた。国側の証人は親の放射線被爆による継世代に及ぶ遺伝的影響があることは否定できないが無視できるほど小さく、現時点ではヒトに親の放射線被爆による継世代的影響があることが科学的に証明されていないから、立法不作為ではないと証言した。科学者とは思えない論拠を用いた陳述だった。原告側証人は、放射線の遺伝的影響があることは、人間以外の動植物では科学的に証明がされており、ヒトへの放射線の遺伝的影響も否定できないと証言した。 こうした論争と合わせて、被爆二世自身が原告として今まで体験した健康不安や病気、兄弟姉妹の病気のこと、結婚差別や子どもの健康不安などを赤裸々に語ってきた。流産、死産した兄弟姉妹も多い。中には、ガンと闘っている原告もいる。被爆二世も高齢化が進んでいる。待ったなしだ。 黒い雨訴訟広島高裁判決では、被爆者援護法一条三号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」の意義は、「原爆の放射能により健康被害が生ずる可能性がある事情の下に置かれていた者」と解するのが相当であり、「可能性がある」という趣旨は「原爆の放射能により健康被害が生ずることを否定することができない事情の下におかれていた者」であると示されている。被爆二世もこれに該当するはずだ。 最終弁論は長崎地裁で七月一九日、広島地裁で七月二七日に開かれる。傍聴、支援を取り組もう。 被爆二世健康記録簿を 被爆者援護法に基づく手帳へ 被爆七五年(二〇二〇年)の八月六日、「被爆者代表から要望を聞く会」において加藤厚生労働大臣は、「まずは被爆者の子や孫に対する被爆者援護法の適用、また被爆二世健康診断にガン検診の項目を追加・充実、二世の健康管理のための手帳の発給に関するお話がありました。被爆二世の方への健康影響について、これまで放射線影響研究所において様々な調査、研究が行われてきています。親の放射線被曝に関連した被爆二世御本人への健康への影響があることを示す結果は、その調査研究の中では得られておりません。『がん』についても、親の被爆による遺伝的影響により発症率が上昇するとの科学的知見も現在得られていないという状況です。私どもとしましては、被爆二世の方への施策については、科学的知見を踏まえて対応することが必要と考えておりますので、引き続き、放射線影響研究所が行っている調査などを注視していきたいと考えております。また、被爆二世の方々への健康管理につきましては、自治体によっては、健康診断結果を記帳する手帳を独自に作成、発行し、当該手帳を活用することにより、御本人の健康管理に役立てているところもあると承知しています。国としても、被爆二世の方々が、検診の結果を自身の健康管理に効果的に活用していただくのは大変大事だと思っております。そのため、小冊子のひな形を自治体にお示しする中で標準化するなどの取組を検討していきたいと考えております」と述べた。 つまり、放射線影響研究所(以下、放影研)の行った被爆二世の健康影響調査結果に依拠して、被爆者の子や孫に対する被爆者援護法の適用、及び被爆二世健康診断にガン検診の項目を追加・充実することを全面的に否定した。許すまじき行為だ。放影研が比較している非被爆者及びその子どもの中には入市被爆者やそのこどもが含まれており、そもそも差が出ない根拠になっているし、病気を発症した被爆二世が入院やその他の理由で放影研の調査に参加できなくなれば、その対象から外れてしまう。それで、親の放射線被爆の継世代に及ぶ影響がわかるわけがない。国は、自らの責任で一度も被爆二世の健康影響調査をしたことがなく、このことが被爆二世の健康影響がはっきりしない大きな根拠だ。毎年、行っている被爆二世健康診断の結果を分析し、公表することさえもしていない。 被爆二世健康記録簿を被爆者援護法に基づく手帳にし、国の責任で在外を含む全ての被爆二世に交付させよう! 日本政府は核兵器禁止条約を 批准し署名しろ! 核兵器禁止条約第一回締約国会議が今年六月二一日から二三日、オーストリアのウィーンで開催された。 核兵器禁止条約は二〇一七年七月七日、国連加盟国の六割を超える一二二か国の賛成により採択された。二〇二〇年一〇月二四日に、批准した国が発効要件である五〇か国に達し、九〇日後となる二〇二一年一月二二日に発効した。二〇二二年六月二〇日現在署名は八六か国・地域、批准は六五か国・地域である。南半球の国・地域が多く、核保有国あるいは核の傘に入っている国々は署名も批准もしていない。 第一回締約国会議にはオブザーバーとしてドイツやノルウェー・オランダ・ベルギー・オーストラリアなどが参加した。あらゆる場所で「戦争被爆国」と被害者を装う日本政府は署名も批准もしておらず、オブザーバー参加すらしない。 核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)は、核兵器禁止条約第一回締約国会議の前に市民社会フォーラムを開催した。日本からも被爆者や被爆二世・三世、高校生平和大使などが参加した。フォーラムの一つ、「核汚染の歴史が世代を超えた抵抗を生む」には被爆二世の崎山昇さん(全国被爆二世協会長)、被爆三世の中村涼香さん(KNOW NUKES TOKYO)、瀬戸麻由さん(カクワカ広島)などが登壇した。崎山昇さんはフォーラムで「被爆二世は将来の健康不安におびえ、深刻な社会的偏見や差別に苦しんでいる」と語り、核兵器の人権侵害の最たるものは「放射線の次世代への影響だ」と訴えた。 二〇日には、オーストリア政府主催による「核兵器の人道的影響に関する会議」が開かれ、各国の政府代表などが参加し、日本の被爆者や被爆三世が登壇した。被爆三世は祖母の被爆体験の他、放射線の遺伝的影響への不安を訴えた。 二一日から二三日に開かれた第一回締約国会議にはオブザーバー参加した国々も意見をのべ、ウィーン宣言「核兵器のない世界への誓約」と「行動計画」を採択した。「核兵器のない世界への誓約」では「いかなる状況下であろうと、あらゆる核の威嚇を明確に非難する」と指摘した上で、核抑止論を断罪している。また環境や将来世代にわたる核被害者に深刻な影響があることを明記している。そして宣言の最後では「我々は、最後の国がこの条約に参加し、最後の核弾頭が解体・破壊され、地球上から核兵器が完全に廃絶されるまで、休むことはない」と宣言した。「行動計画」では五〇個にわたる具体的な行動が提起された。 日本の外務省の石井軍備管理軍縮課長は二〇日の「核兵器の人道的影響に関する会議」には出席したが、翌日から開かれる核兵器禁止条約の締約国会議には出席していない。 今年八月には核兵器不拡散条約(NPT)会議がニューヨークで開かれる。NPTとは米・ロ・英・仏・中に核保有を認める不平等な条約である。五年に一度会議を開いていたが二〇一五年の会議では最終文書が採択できず、二〇二〇年は新型コロナウイルス感染症拡大の影響で延期となっていた。 岸田は日本の首相として初めてNPT再検討会議に出席すると発表した。被爆地広島選出の岸田は「核兵器のない世界」の実現をライフワークとしているらしい。それならば、まず広島・長崎の市民めがけて核兵器を投下した米帝に謝罪と補償をさせろ! 米帝は今も毎年のように核実験を続けているが、日帝は抗議すらしない。米帝に核兵器を使用したことへの責任を取らせぬまま、核保有や開発までを認めている日帝の姿勢が核保有国をのさばらせているのだ。 原発の新設、再稼働ゆるすな! 六月二日、島根県の丸山達也知事は中国電力島根原発二号機の再稼働に同意すると表明した。島根原発二号機は全国で唯一、県庁所在地にある原発で、大事故を起こした東京電力福島第一原発と同じ沸騰水型軽水炉(BWR)である。原発から三〇キロ圏内には島根、鳥取両県の六市(松江、出雲、安来、雲南、米子、境港)があり、四六万人が住んでいる。事故が起きた場合の避難先は広島、岡山両県の自治体も含まれる。東日本大震災のような自然災害が起きた場合、どうやって中国山地を越えて避難するというのか? そもそも四六万人もの人々が避難できるのか? 中国電力は上関原発建設も諦めていない。中国電力は昨年も上関原発を建てるための海上ボーリング調査を行おうとした。しかし祝島の漁業者や上関町民、原発はいらないと思う人々のおかげで、中国電力は何も出来ないまま期限切れとなった。今年二月には上関町議選があったが、無投票のまま一〇名の議員が決まった。上関原発推進は現職六人、新人一人の計七人。反対は現職一人、新人二人の計三人で、いずれも祝島在住である。推進・反対の構図はこれまでと変わっていない。三月、「上関原発を建てさせない山口県民連絡会」は山口県内各地で上関原発を建てさせないための集会やデモ、スタンディングを行った。中国電力上関原子力発電所準備事務所(山口県上関町)の前では集会が行われ、岩国市や周南市などからも駆けつけた。地元住民や環境団体による自然を生かしたイベントや観察会、海岸清掃なども行われており、上関に原発はいらないという思いが広がっている。 世界に目を転じれば韓国の新大統領・尹錫悦(ユン・ソンニョル)は原発推進に力を入れ始めた。他にもカーボンニュートラルを口実に原発推進に躍起になる国が現れている。小型モジュール原子炉の研究も盛んだ。原発を推進する人々は「原発は二酸化炭素を出さない」と喧伝するが、空や海、川に放射性物質を放出していることや何万年も管理しなくてはならない高レベル放射性廃棄物のことは言わない。また原発を稼働する限り、保守点検などで労働者が被曝していることも言わない。 環境を破壊し、誰かを被曝させなくては動かせない原発は世界のどこにもいらない。被曝労働者と連帯し、世界中から原発をなくそう! 被曝労働者の命がけの闘い「あらかぶ裁判」を支援しよう! 被爆者の遺志を引き継ぎ 被爆二世・三世は8・6広島青空式典へ 被爆七七年という歳月の中で、多くの被爆者が亡くなり、被爆者が被爆体験を話すことができなくなっている。実際に戦争を体験した人々が全ていなくなる時が、すぐそこまで来ている。 被爆二世は、親の戦後の生きざまを傍らで見て育ち、自らも「放射能の遺伝的影響により原爆症を発症するのではないか?」という恐怖と闘いながら生きてきた。つまり、被爆二世・三世は、戦後に生まれてきた核被害者なのだ。自らを核被害者として肯定し、生きていくためにはその社会的使命を自覚する必要がある。 核の非人道性を自らの体験を通じて訴えると同時に、帝国主義戦争を起こした者たちにその責任を取らせなくてはならない。日帝のアジア侵略戦争の責任を問い、闘うアジア民衆と連帯して共同で戦争責任・戦後責任を追及する。また、米帝の核兵器使用が戦争犯罪であることを被爆者の遺志を引き継いで追及する。すなわち、被爆二世・三世が戦争や核の被害の恐ろしさを加害や被害も含めて伝える当事者として社会に発信する時が来ているのだ。 平和を考える多くの市民と共に、原爆展の開催や紙芝居、絵本の朗読会などを通じて、自分事として戦争の被害や加害を感じていく機会を無数に作り出していかなければならない。被爆二世自身が自らを解放する手段として、また核の非人道性の最たるものとして、放射線の影響が継世代に及ぶことを世界に告発し、戦争を阻止し、核廃絶を求める主人公となるのだ。 日韓同時行動として闘い抜こう 私たちは、韓国の被爆者・二世と連帯すると共に、AWC韓国委員会をはじめとする韓国の反戦・反核・反原発を闘う民衆と共に、原発の廃絶に向けた学習会を重ねてきた。また、二〇一三年以来8・6広島とソウルを結んでAWC韓国委員会と共に日韓同時行動を取り組んできた。今年も、日米韓軍事同盟の強化を許さず、核兵器も原発も無い世界を求めて共に闘う。日本政府が、旧日本軍性奴隷制度被害者や元徴用工被害者へ謝罪と補償を行うよう強く求める。 反戦・反核・反差別・反原発を闘う皆さん、共に8・6広島青空式典に立ち上がろう! |
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